なんだか鬱々と
悲観的未来予想のループに嵌る一日でした。
そういう時、
「執着を、捨てれば良い」と思ってみたり
最終的には
「いつかは必ず死ぬんだよな」なんて思ったりすると
ふぅっと息がつける感じになる。
今の瞬間がもしかして、(私の)世界の終わりかもしれない、という感覚になって安心したり。
積極的に真剣に死にたい、というのとは違う気はする。
とかく、死ぬっていうのは大変な気力とか体力が要ることだ。
生きようとするように出来ている肉体を殺すのだから。
自分の体であろうが、それはひとつの”殺人”だろう、と私は思う。
周囲に与える喪失感、痛手もまた殺人に匹敵する重さだ。
(それでも、生きる重さに耐えられなくなって
死を選んでしまった人のことは、私は咎められる筋合いではないよ 気持は
よくわかるから。)
でも
できることが少なくなってしまった今
私にできるのは 「生き続けること」 だけかなぁとも思ってみたり。
どんな形であれ 生き続けてさえいれば
「どうして救えなかったのか?」という自問に苛まれる苦しみだけは
近しい人たち(子供、彼氏、親…)に味あわせなくて済むから。
あまりのささやかさに、情けなくもあるけれど。
ただそれだけのこと 生き続けるというのが
どうしようもなく しんどいなぁ…というのも本当なんだけどね。
例えて言うなら
とんでもなくペダルが重い、ボロで錆び錆びになった自転車を漕ぎ続けるような
そういう感じ。
鬱になる前は、あんなにも楽々と漕いでいたペダル
同じ10メートルこぐのに
なんでこんな疲弊してしまうのだろう、と。(ドウシテコンナニ重イノダ??)
だからこそ
「いつかは、死ぬ」という発想に 救われてしまう。
今日 それから、明日
一歩一歩
とにかく生き続けること。
明日、明後日
とりあえず生きて、ココに居ること。
死ぬなんて今じゃなくったって
自分から追いかけていかなくったって
いつかは、否応無しに 死は、やってくるモノだから。
こんな祈りでも
それで、そのひとあし、踏ん張っていられるのなら
それはそれで、確かな 祈り だから。