昔は「精神的に落ちる」ということを、過敏に恐れていた時期があった。
「ああ落ちてる落ちてる!どうしよう、どうしたら立て直すことができるのだろう!!」
と、何も起こらない前から、いちいちパニックになっていた。
肩だけではなく体中、こわばらせて身構えて、
人知れずジタバタじたばたと、あがいていた。
そしてまた、「落ちる自分」に罪悪感と苛立ちと情けなさを。
あるとき
「こうしてジタバタすること自体 無駄なんじゃないか?」と気づくようになり
不毛なことであることに気づく。
うつ状態であるときよりも、抗うことによって費やされるエネルギーのほうが
ずっとずっと大きいということに。
それに気づいてからは、 抗うことをやめるように、だんだん慣れてきた。
落ちたら落ちたとき、そのときに対処すれば良いのだと。
それから、すぅーと
楽になることができた。
落ちる自分をも、許せるようにもなった。
そうすることで自分の病むところも自然体として受け入れることが
ようやくできるようになった。
縮こまるうちに、ひとにだけではなく
自分に対しても心を広くすることができなくなっていたのだろうと思う。
あるがまま。
言うのは簡単だけど
実際に会得するには頭だけじゃなく
からだでわかることができなきては意味もない、と。
ささやかなことだけど
前がどの方角なのかもわからなくても
それでも、どこかへ1歩を踏み出せてる。