、私がまだ子どもだった頃。
家庭の中が騒然、混沌、、そして殺伐
としていた悪い時期だったと思う、
母は毎日のように、
浅川マキの世界の世界ばかり聴いていた。
わたしは歌詞を聞き分けられる程度には大きくなっていて
寺山修二が手がけたという、その世界の暗さがただひたすらに恐ろしく、(特に「赤い橋」)
母に止めて欲しいと何度も頼んだものだった。
(そして母は笑うだけで、決して止めてはくれなかった。)
そんな一枚をどうしても聴きたくなって、オークションで、決して安くはない
それを、買い求めたのが先日。
懐かしいという感情は近くもないし
ただ、あの頃母が抱えていた思いやつらさを、遠めながら、知りたかったのかもしれない。
母は当時まだ30代前半で
ほとんど帰ってこない父と
小さな娘を持って
どういう思いで、暮らしていたんだろう。
当時の話はいつも「大変だったよね。」と笑い話にするだけで、向き合って正面から話し合うことは未だかつて無い。
私は、ひととして痛みを分かち合えるほど育ってはなく
頼りの綱であった母が、ときにひっそりと涙を流すのが不安で、ただ抱きしめることしかできないほど、子どもだった。
浅川マキの世界は、母に聞くと、「欲しい。」という。
この次会うときには、渡そう。
母はそこに何を見るんだろう。