家庭というものは、舟みたいなものだと思う。
荒波に揉まれるときも 凪の日も
そこに在る 在り続ける、一艘の船。
ひとの心を積むものだから、杓子定規には、いかない。
曖昧な感情、沸き起こる情動、
割り切れないものをたくさん積んで
ときに揉めるときがあったとしても、
出る答えは曖昧な了解だったり
正義を超えた 赦しであったり
たくさんのものを積み込んでる。
さまざまでそれぞれの思いや感情、それらが織り成す歴史をも抱え込む、舟だと思う。
私にはときに足場を踏み違えそうな、
立ち位置を誤りそうな
二艘の舟がある。
(私と子どもたちの家 そしてすぐ近い彼の家)
どちらにも、不公平にならないよう
そして自分が水に落ちないよう
その判断を見極めようと、なにかを尖らせている自分が居る。
恵まれてるのは解ってる。
私は孤独ではなく、受け入れてくれるひとたちが居ることによって
生かされてるのも解ってる。
ただときどき二艘の舟は難しいなぁと
思ってしまうときもある。
家庭は築くもの
織り成して歴史 家族史を織り成す場所である。
どちらも疎かにしたくはなくて
不公平ではありたくなくて
いわば二つの舟の間で、バランスを取っているのが今の私。
できるところまで 行けるところまでは今のまま
やっていきたいと思ってる。
舟を持つありがたさ。
それはどちらの舟にも思うこと ありがたいと。