「私にも、いやなこともあるし、これでもいろいろあるんだよー。」
と言うと、それはどんなことか彼にきちんと言うべきだ、と言う。
彼に黙ってて溜め込んでるモノは毒になって彼にかえっていくのだと言う。
毒。。。(-_-;)
そう言ってしまったら私の存在自体が毒の塊みたいなモノだとも思うんだけど。
いやなこともいいこともどんなことも
彼に話していたいと思って、そうしてたときもあった。
そうすればいつも理解しあえると思ってた。
そうしてるときは、彼が「私に話していないこと」を抱えてることもひどく不満だった。
その不満を避けるためにも、
私の「なんでも話す習慣」は止すことにしてみてた。
それに、話してしまうと
「話してきたのに何で解ってくれないの?」という気持ちになってしまうし。
話せばわかるっていうのは、半分しか当たりじゃない。
立場とか、なってみなければわからないことが多いし
病気も、なってみなければわからないことが多いし
そういう論理的な四角い理解よりも、
一緒に居る丸い時間や空間を、大事にして生きて「
いけたら」なぁ、と
思う。
というかそう思える自分で居たいというのが本音か。。。
わかってほしい、という願望はきりがなし
欲しい欲しい、カオナシばりな、理解して欲しいという欲望。
たぶんそれ底なし。
(理解して欲しい、理解し尽した上に、あわよくば必要として欲しい という欲求、恐るべし)
自分でコントロールするためにもストッパーが必要。
でも
その手段のひとつが 「 言わないこと 」 だとしたら
あまりに稚拙な気もしますね。。。